3月までのスケジュール(さとう)

 こんにちは、さとうです。


後期ももうすぐ終わり、僕がこのブログを書くのも最後になりました。

最後に、ぼくの修論提出前後から3月までのスケジュール、人文修士学生の修了までの予定(やること)を

書いていきたいと思います。


1.学校生活関係

①1月上旬

修士論文の提出(1月11日)に向けて、内容の確認・修正・補足等をしました。


②1月中旬から2月上旬

2月上旬に、口頭試問(修論についての面接試験)があるのでそれに備えます。

修論の内容を確認し、どんな質問が来てもいいように、もう一度文献を読みなおします。


③2月上旬から3月下旬

最後、修了までに何か一冊古典的研究を読みたいと思いました。

指導教員にお願いし、講読の授業をやることになりました。

本決めは口頭試問後なので、何を読むかはまだ決まってません。



2.就職関係

①書類提出

就職先に出す書類を確認し、提出します。

書類書くのが苦手なので、いつもギリギリです。

こうしてブログを書いている間にも、やらなければならない書類を思い出しました。

「〇月〇日以降に交付された書類」だったので、忘れていました。

マルチタスクが苦手なので、やることが多いときに何かを忘れてしまいます。

メモをして、忘れないことを心掛けたいです。


②健康診断

健康診断の結果を就職先に出さねばならないので、早めに予約して行ってきました。

提出の締め切りもあるので、健康診断の予約は早めをお勧めします。



3.生活関係

①引っ越し関係

引っ越ししました。

引っ越し関係の書類・やることがいくつかあったので、それらを修論提出前からやっていきました。

書くことが少ない書類でも、書くのが億劫になるのはなんででしょう...


②役所系

住民票が実家にあったので、一度実家に帰り、手続きを、なんとかしてきます。

実家に帰るのも時間がかかるので、少し億劫です。



簡単にでしたが、以上となります。

全体的に書類関係が多いです。

学部生時代のレポート提出もだったのですが、書くのが億劫で、結構締め切りギリギリにやるタイプです。

今は、少し余裕をもって書類は書いて提出するようにしています。


書類の提出などやることはあるのですが、修了までの期間、時間に余裕もあるので、

先ほども書いたように本を読んでいきたいと思います。

これから先、読む時間も限られていくと思うので、読めるうちに読もうかなと。

以上、さとうでした。


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2/3に加筆しました。


最後に大学院生活2年間の感想を書いて終わりにしたいと思います。


大学院進学(試験受験)に際して、周囲からいろいろ言われました。

親からは少し渋られた反応があり、進学のお許しをもらうために、いろいろ理由を伝えました。

親からすれば、さらに2年間お金がかかるということもあり、当然の反応だと思います。


また、周囲の友人・知人からは「何のために進学するの?」「進学して何するの?」とよく聞かれました。

たしかに、理系の大学院と異なり、文系大学院に進学して、就職に有利かと言われたら、有利とは言えません。

それでも、「研究を続けたい」と思ったので、進学したいと思いました。

どこかで講師登録して、非常勤や常勤で講師をするという道もあったのですが、それでも自分の気持ちは研究に向いていたのでそちらを選びました。


大学院に進学したことは、僕自身後悔も何もしていません。

大学院の授業・研究を通じて、研究の手法や歴史的な物事の考え方をはじめとする多くのことを学ぶことが出来ました。

授業を通じて、単に「こういう出来事があった」「こういう研究がある」といった知識以外に、いろいろな考え方を学べたのが自分の中で一番の収穫です。


また、学部のころより、気持ちが研究に向いたため、学部生のころに読まなかった本を何冊か読みました。(他のまじめな学生から見れば、決して多いとは言えませんが)

特に、社会史研究で有名な阿部謹也の本をいくつも読みました。

阿部先生の本は中世の民衆の歴史が描かれており、自分の研究とは直結しなかったのですが、とても参考になりました。


僕自身、大学院で学んだことは何かと考えていた時に、最近Twitterで太宰治の「正義と微笑」の文章が回ってきたのが目につきました。

Twitterで回っているものなのでネット上で目にしたこと、また何かしらの機会に本自体を読んだ人がいるかもしれませんが、引用させていただきます。


「勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。

植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。

何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのはカルチベートされるということなんだ。

カルチュアルというのは、公式や単語をたくさん諳記〔暗記〕している事ではなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛することをするという事を知るという事なんだ。

学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、必ずエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。

けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。

勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接役立てようとあせってはいかん。ゆっくりと、真にカルチベートされた人間になれ!」

太宰治「正義と微笑」『太宰治全集5』筑摩書房、1989年、75-76頁。

(http://opac.lib.u-toyama.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BN05278440?hit=2&caller=xc-search)


現代において、学校で学んだことが自分の生活や仕事に直接結びつくものも多いと思いますし、勉強しなかった人が必ずエゴイストであるかといえば、必ずそうであるとも言えません。

それでも、何かを学ぶ際の心構え、気持ちとして、この文章はとても大切だと感じたので、紹介させていただきました。