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学生コンシェルジュ1月のスケジュール

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スケジュールを修正しました。(2022/01/07) ------- 2022年1 月の学生コンシェルジュの対応スケジュールをお知らせします。 以下の時間であればオンライン相談が可能です。 *直接相談は富山大学の活動指針レベル0~1でのみ、対応予定です。 オンライン相談時のURLは Moodle からご確認ください。 *学生コンシェルジュには上の時間外にも、匿名相談やメールでの相談がいつでも可能です。相談方法は Moodle をご覧ください。 スタッフの対応時間に返信しますのでお返事はしばらくお待ちください。

名著・古典を読むとき僕がしていること

 こんにちは、さとうです。 最近、雨が多いですね。 雨で靴が濡れてしまい、次の日も湿ったままで履きたくないです。 新聞紙を詰めればよいと聞くのですが、学生の一人暮らしで新聞が家にありません。 何かほかにいい方法があれば、教えてほしいです。 僕は読書が趣味で、歴史に関する本を中心に読んでいます。 まだ、読んではいないものも多いのですが、 「 名著 」や「 古典 (作品・古典的研究含む)」と言われる本を読みたいと思っています。 しかし、個人的には名著や古典の類は 読むのが難しく 、内容がなかなか理解しずらいです。 今回は、この名著・古典の読むときに個人的にやっていることを書いていきたいと思います。 ※今回お話する名著や古典は文学的なものよりは、研究のものに寄っています 名著・古典と言ってもいくつもありますが、歴史学の名著・古典を少し挙げるとすれば、 マルク・ブロック『封建社会』 や ホイジンガ『中世の秋』 といったものでしょうか。 大学の授業でも何冊か読んだのですが、先生の解説などがあってようやく理解できるものでした。 学部生の時に読んだ ハスキンズ『12世紀ルネサンス』 や、 今年学部生の授業に混ざって読んで ピレンヌ『ヨーロッパ世界の誕生ーマホメットとシャルルマーニュー』 のどちらも(歴史学なので当たり前なのですが)「何年に○○が××した」といった情報が多く、 著者の伝えたいことがなかなか理解できませんでした。 名著や古典は、歴史学やその分野を学ぶ上でとても大切なことが書いてあるので読むべきだと思っています。 しかし、内容が難しく、一人では理解できない。 周りに人がいれば、読書会という形で読むこともできるのですが、僕には友達がおらず、できません。 そこで僕は名著・古典を 紹介・解説をするような本 をまず読むことにしました。 それらの本でまず、 その本の伝えたいこと・外枠 を理解し、それから名著・古典を読みます。 あとから、それらの本を読むという方法もあると思うのですが、 僕は読んでる最中からちんぷんかんぷんなので、先に紹介書・解説書を読むようにしています。 例えば歴史系ならば次のようなものがあります。 ・樺山紘一編『現代歴史学の名著』中央公論社、1989年。 ( 現代歴史学の名著 | 富山大学附属図書館 OPAC (u-toyama.ac.jp) ) ・樺山紘一編『

富山にいる間にやっておきたいこと

 もう冬になりましたね。きつい富山の冬がやってまいりました(笑)生まれ育ちは石川で、ずっと北陸に住んでいる私でも毎年冬の時は格闘しています。 今回のテーマは富山で冬が明けたらやっておきたいことを4つまとめてみることにしました!(レア度や難易度重視) ※これら紹介することは天候により危険を伴ったり、立ち入り禁止になる場合がございます。事前に交通状況を調べた上で行くことを強く勧めます 1.ホタルイカの身投げ      毎年3月になると、ホタルイカが富山湾に上がってきます。ホタルイカ自体はほとんどの浜で見られるのですが、有名なところは滑川や四方あたりになります。私は2回見に行こうと深夜の四方の海にいきましたが、身投げの瞬間には立ち会えませんでした( ノД`)シクシク それでも、ホタルイカ自体は3匹ほど捕獲することができました!(とはいっても浜辺にうちあがってたやつで息があったのを捕まえただけですが(笑)) 実際取りに行くときは準備と場所を入念にしらべていきましょう(一部禁漁区域があります) 2.国道471号線の楢峠     数ある富山の観光名所を差し置いてまさかの国道を選ぶという暴挙をしてみましたが、この国道471号線は石川県羽咋市から岐阜県高山市まで続く国道で、富山県内は小矢部市、砺波市、南砺市、富山市を通り、富山岐阜の県境を跨ぐ楢峠(標高1220m)は11~6月は積雪のため通行止め、さらに雨天時はだいたい通行止め(もっというとそのせいの土砂崩れでしばらく通行止め)という年中通してほとんど通れないことから開かずの酷道と呼ばれています。また、南砺市の庄川地区から利賀地区までの道も庄川に沿って伸びている道も道幅が狭いですが、紅葉の季節になると非常に綺麗な景色を見渡せます。 3.称名滝  一応、日本一落差があることで有名な観光地ではありますが、どうしても立山アルペンルートと分岐しているため、素通りされがちな観光地、公共交通機関でのルートは立山駅からバスで15分と割と近いのですが、自家用車および自転車で行くとあまりの坂に辛い目に合います(^^)現在は冬季通行止めですが、冬が明けたときに是非いきたいところです。ちなみに私は去年のGWの緊急事態宣言中、暇だったので車で行ってみました。その日は割と春にしては暖かい日なのではあったのですが、残雪があって涼しく自然を満喫しました。 4.富

ある歴史学者と富山大学

こんにちは、さとうです。 先日、古本屋に行きました。 そこで、『クレタの壺ー世界史像形成への試読—』という本を購入しました。 この本の著者は上原専禄という歴史学者で、富山大学にかかわりがある人物です。 今回は、上原専禄という歴史学者を紹介していきたいと思います。 上原専禄(1899-1975)は、東京産業大学(現一橋大学)で学長を務めた 京都出身の中世ヨーロッパの研究者です。 上原は戦前から戦後にかけて、中世ドイツ史と世界史の2つの側面から日本歴史学の発展に貢献した人物でした。 上原は、東京高等商業学校時代には経済史・文明史家である三浦新七のもとで学びました。 ウィーン留学時代には、ドイツ中世経済史家であるアルフォンス・ドープシュのもとで学び、 そこで原史料での研究をおこない、原史料にこだわった歴史家でした。 そして、上原は帰国後、富山大学経済学部の前身である高岡高等商業学校に赴任し(1926-1928年)、 そこで、富山の売薬についての歴史を史料集にまとめた『富山賣薬業史史料集』(1935年、全3冊)の編纂を始ました。 その後、1928年から東京商科大学(東京高等商業学校の後身)に移り、 1946年には学長に選出されました(学長選出時は東京産業大学という名称)。 上原が学長を務めている間、東京産業大学を新制一橋大学へと移行させました。 富山大学とのかかわりで言えば、 富山大学は1949年に文理学部、教育学部、工学部、薬学部を持つ新制大学として設置されています。 その前年である1948年に、上原は大学設置委員会の委員長として富山を訪れ、 そこで、現在の経済学部に関わる事柄に関して、助言や協力したといわれています。 以上のように、上原専禄という歴史家は富山大学の成立に関して深くかかわっていました。 上原専禄の言葉で僕はとても心に残っているものがあります。 上原専禄の門下であるドイツ中世史家の阿部謹也が学生時代に言われた言葉です。 阿部が「解るとはいったいどういうことか」と上原に問うと、 上原は「解るということはそれによって自分が変わるということでしょう」と答えたそうです。 僕はこの言葉を本で読んだとき、言葉ではうまく説明できませんが「深いな~」と思いました。 この時から、上原専禄という研究者が気になっているので、修論が落ち着いたら、著作を読もうと思っています。 図書館

日本と中国での習慣の違い

こんにちは、 CHOU です。    今回は日本と中国の日常生活における違いについて紹介します。 1. 年齢は「数え年」で数える 中国では、生まれたときを 1 歳とする数え年で年齢を数えます。なので、中国で年齢を聞かれたら、基本的に年齢+ 1 歳で答えると良いと覚えておきましょう。 ちなみに、数え年と満年齢では年齢を数える基準となる日も違います。満年齢の場合は誕生日が基準ですが、数え年の場合は元旦が基準です。そのため、日本でまだ誕生日がきていないけど今年満 20 歳になるという人は、中国では 1 月の時点で 21 歳と数えます。    2. ストレートな意思表示を好む  日本では争いを避けるために意思をストレートに伝えないことが美徳とみなされることもありますが、中国では意思をはっきり伝えるほうが好まれます。  そのため、中国企業との取引の際には、日本の企業の取引先とできていた「阿吽の呼吸」のような、意思をぼやかして伝えても通じるということは期待できません。  ただ、はっきりと意思表示をしても無礼な態度と思われることもないので、この習慣に慣れてしまえば、取引はスムーズに進みやすくなる場合が多いともいえます。  3.割り勘は割り勘はしない  日本では友達同士、同僚同士などフラットな関係の場合は、食事をしたときに割り勘の支払いになることも多いですが、中国では割り勘をするという習慣がありません。  友達や同僚といった関係性であっても、基本的には食事に誘った人が支払うことが一般的です。ただし、割り勘はしないかわりに、奢られた側は次に食事に行くときにごちそうするという文化が中国では根付いています。   4.「お客様は神様」という文化がない 日本には「お客様は神様」という文化が定着しているため、接客を伴うお店ではどこでも丁寧で礼儀正しいサービスを受けることができます。  逆に、中国ではサービスを受けた客の方が感謝をするべきという考えがあるので、「お客様は神様」というスタンスでいると、横柄な客だと思われてしまいます。     5. 転職に対して積極的  日本でも転職は一般的になってきてはいますが、やはり転職回数が多いと人事担当者から「すぐにやめてしまう人材」だとマイナスに捉えられることも少なくありません。  しかし中国では転職は良い条件の仕事に就

学生コンシェルジュ12月のスケジュール

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   12 月の学生コンシェルジュの対応スケジュールをお知らせします。 以下の時間であればオンライン相談が可能です。 オンライン相談時のURLは Moodle からご確認ください。 *学生コンシェルジュには上の時間外にも、匿名相談やメールでの相談がいつでも可能です。相談方法は Moodle をご覧ください。 スタッフの対応時間に返信しますのでお返事はしばらくお待ちください。 *直接相談は富山大学の活動指針レベル0~1でのみ、対応予定です。

教員採用試験の経験

 こんにちは、さとうです。 最近、雨ばかり降るようになりましたね。 気温も下がり、厚手の服を着ないと耐えられないです。 今回は教員採用試験について書いていきます。 僕は教員志望で、教員採用試験を受験しました。 その対策や勉強についての経験、さらにその時の気持ち・感想などもお伝えできればと思います。 1.学部4年生の時 以前のブログ「大学院進学のきっかけ」でもお話したように、僕は大学4年の時にも教員採用試験を受けました。 その時は地元を受験しましたが、落ちて大学院に進学しました。 その時は対策が不十分でした。 ①筆記試験の対策不足 教員採用試験は、自治体ごとに試験の形式が異なりますが、 多くの自治体では、筆記試験と面接系試験の二段構成となっています。 筆記試験では、専門教科(僕の場合は社会科)と教育教養(教育の歴史や手法など)、一般教養の3つが問われます。 当時、僕はすでに気持ちがあきらめムードでした。 地元の教員採用試験の倍率を見ていると、なかなか高く、「厳しいな」と感じていました。 その気持ちから勉強にも身が入らなく、結果、筆記試験は散々でした。 勉強法もいまいち統一性がなく、過去問をやったり、教科書を見たりで、その時々によって異なりました。 ②面接対策不足 地元の試験は、一次試験に筆記・集団討論、二次試験に小論文・個人面接・模擬授業でした。 僕は、この集団討論の試験対策もしていませんでした。 富山大学では、毎年人間発達科学部が「教員採用セミナー」を主宰しています。 このセミナーは、人発の特任教授が教員採用対策として、教員採用試験の動向や、小論文、面接などの練習を行ってくださいます。 僕はこの案内が来ていたにもかかわらず、これに出ませんでした。 理由としては筆記試験と同様、モチベーションの低さです。 正直、受かる・受からない関わらず、この二つをしっかりやっておけばと後悔しています。 2.大学院での受験 以上の後悔があったので、今回の受験は対策をきっちりしようと思いました。 ①筆記対策 まずは、筆記をしっかりとろうと思いました。 今回は富山県を受験しました。 自治体によって、試験傾向・出題範囲が異なるので、富山県の参考書を見て、確認から入りました。 富山県の社会科は、地歴・公民の選択式の共通問題と、各専門、つまり歴史・地理・公民の記述式で出題されていました。 なので