さとうの卒論の時の話

 こんにちは、さとうです。


蒸し暑い日が続き、湿気のせいか洗濯物がいまいち乾かなくなりました。



今回は、僕が卒論を書いた時の話をしようと思います。


歴史の卒論ってどんな内容なのか、どんなことをするのかよりも、

4月から口頭試問までの2月までどんなスケジュールだったかをメインに書いていきたいと思います。


1.テーマ設定(4月)

まずは、テーマの設定でした。


僕は、2年生の時に授業で発表するために読んだ「金印勅書」に関する論文を読んでから、

「神聖ローマ帝国」や「金印勅書」に関心があったため卒論もそのテーマにしました。


人文学部は4月下旬に卒論の題目を教務に提出しなければならないので、

担当の先生と相談の上、題目を一応、「金印勅書」制定の目的としました。



2.先行研究(教員採用試験・教育実習終了まで)

僕は教員志望だったため、試験がある8月までは試験勉強中心に、

先行研究や研究史をまとめたり、外国語文献を訳して読んでいたりしました。


主に「はじめに」にあたる部分を進めていました。


「金印勅書」の研究は、日本ではあまり盛んではなくドイツ語圏が盛んで、僕が読める文献が限られていました。


図書館にあったドイツ史の概説書や、数少ない専門書、CiNiiなどで探した論文を手掛かりに卒論を進めていきました。



3.史料の使用

歴史学では、当時の人たちが記した記録を史料(主に紙に記されたもの)と言います。

※考古学の場合は土器や遺跡といったもの


例えば、当時の人が残した公文書や日記、手紙などです。


歴史学の研究はこういったものを使用します。


僕の卒論は「金印勅書」をテーマとしていたので、「金印勅書」を使用することになります。


しかし、「金印勅書」の日本語全訳はなく、その時はドイツ語訳、英語訳も検索不足で手に入れることもできなく、概説書で訳されているもので研究しました。

※「金印勅書」自体はラテン語で書かれており、ちょっと原文の使用はあきらめました。

※歴史系の卒論をやる人は、自分が手に入れることができる、言語を問わず、読める史料のテーマがおすすめです。

 今の時代は翻訳サイトも優秀なので、外国語の史料でもなんとかなるかもしれません。


現在はドイツ語訳、英語訳を翻訳しながら研究を進めています。

※翻訳してみると概説書などでは記されていないことがわかり、とても面白いです。


卒論の時は、担当の先生が、勅書を制定したカール4世の自叙伝の文献を見つけてくださり、

その自叙伝も併用していました。


自叙伝については、先行研究や翻訳もあったので、その研究も参考にさせていただきました。



4.教員試験、教育実習後(9月以降)

教員採用試験や教育実習までは、「はじめに」や第1章を書いており、その後はかけるところから書いていました。


そのせいか、内容にブレが生じたり、自分が何を書きたかったかわからなくなってしまいました


先生とも相談し、削るところは削っていき、ブレを抑えていきました。


この時期は、研究室や隣の研究室の友人と卒論の文字数の確認や注釈など卒論の形式について相談しあった時期でした。



5.中間発表(11月下旬か12月上旬)

僕らのところは12月(だったような)に中間発表を行いました。


中間発表では、先生お二人と院生1人、2-4年が集まりました。


僕の進捗状況はあまりよくなく、先生方からは論文の目的をもう少し明確にした方がよいとアドバイスを受けました。



6.研究会、合宿の参加(12月中旬)

時間は少しさかのぼり、卒論の方向性に悩んでいた10月、11月に担当の先生から、

中世後期のコミュニケーションに関する研究会と先生の出身大学のゼミの合宿の案内を受けました。


そういったものに初めて参加することとなるので、

専門の先生ばかりの場にこんなペーペーが行っていいのかと不安になりました。


しかし、卒論の状況も悪かったので腹をくくり、どちらも参加することにしました。


研究会は12月中旬の土曜日に京都で行われ、一人で行くのは心もとなかったので、

友達を京都旅行と称し京都まで連れて行きました。

(友達は研究会には参加せず、京都をぶらぶらしていました)


その研究会には、僕が「金印勅書」に関心を持った論文を書かれた先生も参加しており、とてもワクワクしました。


その研究会で3名の先生方のお話を聞き、僕は刺激を受け、卒論への意欲がわき、書きたいことも明確になりました。



合宿にはその次の週に滋賀で行われ、先生と大学院の先輩につれられ、参加しました。


合宿にはいろいろな大学の西洋史の先生方が集まり、学生の発表をメインに進められました。


発表や懇親会などで様々な方とお話する機会を得てとてもいい刺激となりました。



はじめは研究会と合宿、どちらにも緊張や不安がありましたが、

様々な視点からのお話を聞けてとてもいい経験になったと思っています。



7.中間発表から提出まで(12月から1月中旬)

富山大学人文学部の卒論提出はだいたいセンター試験で大学が入構禁止になる前の日です。


中間発表終了から提出まで約1か月と少し、あとはやるしかないのでどんどん進めました。


その間は、自分の研究室の友達や隣の研究室との友達と

情報交換したり、互いの卒論を読みあったりして、みんなで卒論を進めていきました。


僕は余裕をもって前日に一応完成させ、所々修正しつつ、締め切り当日の午前中に提出しました。



8.口頭試問(2月第1週)

理系学生が卒論発表会をやる代わりに、人文学部のほとんどの研究室では口頭試問が行われます。


僕らの時は2月上旬に行われました。


卒論提出後はこの口頭試問に向けて、自分が不十分だと思うところを字らべ、補足していました。


口頭試問では卒論を要約した内容を先生方に伝え、その後、先生方から卒論についていろいろ聞かれました。


僕の口頭試問では、

「卒論でまだ不十分な部分を大学院で明らかにできるといいね」や

文章の書き方、卒論中の言葉についての注意

で終わりました。




その後、無事に単位認定を受け卒業し、今に至ります。


これが僕の卒論の話です。


最後に卒論を書く際のアドバイスを1つ。


可能であれば自分の先輩方が書いた卒論を読む


その中で使われてる言葉や語彙、表現を真似していきましょう。


論文っぽい言葉は普段僕たちは使わないので、どう書けばいいかわからなくなる時があります。


しかし、学術論文の言葉遣い等参考にすると、堅苦しすぎてしまうようにも感じます。


そこで卒業論文を参考にすることで、自分の卒業論文の中にぴったりの表現が見つかるかもしれません。


もちろん、担当の先生方に相談することが一番だと思います。


全部を全部、先生方に聞くのは申し訳ないので、

困ったときは、先輩の卒論の表現などを参考にして卒論を書いてみてはどうでしょうか。


以上、僕からでした。