ある歴史学者と富山大学

こんにちは、さとうです。


先日、古本屋に行きました。
そこで、『クレタの壺ー世界史像形成への試読—』という本を購入しました。
この本の著者は上原専禄という歴史学者で、富山大学にかかわりがある人物です。
今回は、上原専禄という歴史学者を紹介していきたいと思います。



上原専禄(1899-1975)は、東京産業大学(現一橋大学)で学長を務めた
京都出身の中世ヨーロッパの研究者です。
上原は戦前から戦後にかけて、中世ドイツ史と世界史の2つの側面から日本歴史学の発展に貢献した人物でした。

上原は、東京高等商業学校時代には経済史・文明史家である三浦新七のもとで学びました。
ウィーン留学時代には、ドイツ中世経済史家であるアルフォンス・ドープシュのもとで学び、
そこで原史料での研究をおこない、原史料にこだわった歴史家でした。



そして、上原は帰国後、富山大学経済学部の前身である高岡高等商業学校に赴任し(1926-1928年)、
そこで、富山の売薬についての歴史を史料集にまとめた『富山賣薬業史史料集』(1935年、全3冊)の編纂を始ました。

その後、1928年から東京商科大学(東京高等商業学校の後身)に移り、
1946年には学長に選出されました(学長選出時は東京産業大学という名称)。
上原が学長を務めている間、東京産業大学を新制一橋大学へと移行させました。

富山大学とのかかわりで言えば、
富山大学は1949年に文理学部、教育学部、工学部、薬学部を持つ新制大学として設置されています。
その前年である1948年に、上原は大学設置委員会の委員長として富山を訪れ、
そこで、現在の経済学部に関わる事柄に関して、助言や協力したといわれています。


以上のように、上原専禄という歴史家は富山大学の成立に関して深くかかわっていました。
上原専禄の言葉で僕はとても心に残っているものがあります。
上原専禄の門下であるドイツ中世史家の阿部謹也が学生時代に言われた言葉です。
阿部が「解るとはいったいどういうことか」と上原に問うと、
上原は「解るということはそれによって自分が変わるということでしょう」と答えたそうです。
僕はこの言葉を本で読んだとき、言葉ではうまく説明できませんが「深いな~」と思いました。
この時から、上原専禄という研究者が気になっているので、修論が落ち着いたら、著作を読もうと思っています。
図書館にも著作集が所蔵されてあるので、気になる方は探してみてください。

今回の話は、あっちこっちとんでうまくまとまりがなく、申し訳ございません。
以上、さとうでした。

<参考文献>
・阿部謹也「自分のなかに歴史を読む」『阿部謹也著作集:第9巻』筑摩書房、2000年、3-126頁。
・入江幸二「新制富山大学の発足をめぐって」『全国大学史資料協議会 研究叢書』 第21号、 2020年、67-81 頁
・今谷明、大濱徹也、尾形勇、樺山紘一編『20世紀の歴史家たち(1):日本編(上)』刀水書房、1997年。
・土肥恒之『西洋史学の先駆者たち』中央公論新社、2012年。